2008-01-01から1年間の記事一覧

思ったことを。 一応隠しておきます。

遠い昔にあったことを思い出し、夜毎泣いている。 過去は尊く感じられるものです。 しかし、過去の先には現在があることを忘れてはならないのでしょう。

気付けば今年もあと二週間となりました。 あっという間だったような気がします。 紙一枚でも重ねれば厚くなる。 薄っぺらな日々でも重ねれば一年となるのでしょうか。 拍手 <何人もの方々。 こんな私に声をかけてください、ありがとうございます。 直ぐに本…

思ひ出でて 夜はすがらに 音をぞなく 有りし昔の 世々のふるごと

源実朝

今回は自分に対するけじめの意味も兼ねて、自作を据えさせていただきます。 ぼんやりと外を眺めていたら思いついたものです。 意味は特にありません。 雨の日の夜、ぼんやりとした灯がある。この道は一体何処に続いているのか。 無理やりに意味づけるならこ…

いいかげん心を入れ替えないといけませんね。 先日は非常に見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありませんでした。 いろいろと整理が付きましたので以前同様に更新を再開したいと思います。 もしも、ここ一週間ほどの間に何か御用が会った方が居りました…

狐火を 灯してみゆる 雨道よ 歩くは夢か 果ての現か

俳諧-瑞芭蕉

町はずれでも、人の往来があれば活気というものはある。

久しぶりとなりました。 目の疲れや忙しさから暫し離れていました。 現在、正直混乱しています。 以下、吐き出す事により安寧を得ようとする無様な文章が続くので隠します。

ゆふぐれの 雪降るまへの あたたかさ 街のはづれの 群衆の往来

若山牧水

文というほどの分量ではありませんが、一応隠しておきます。 また、不快に思う方がいるかもしれません。

風が吹き、何処といわず散っていく花。春は何処へ去るのか。 花を葉、春を秋と変えてみれば季節にそぐうような気がします。 秋は死にゆく季節かもしれません。 しかし、この死が春という再生に繋がるのもまた事実。

ここ最近、見事な月夜でした。 その一方で虫の鳴き声がもうしません。 冬の兆しはもうそこまできているのでしょう。思えば、今年は残暑も厳しく短い秋だったように思われます。 近頃、帰宅後、目の疲れが激しくあまりディスプレイが眺められません。 それな…

風吹けば 方もさだめず 散る花を いづ方へゆく 春とかは見む

紀貫之

別れを惜しむのはあなただけではない。廻りめぐって、またどこかで。 今生の別れ。その際に「いつでも会えるさ」と言われるより、「じゃあ、またどこかで」と言われる方が切ないのは私だけでしょうか。

風の音を聞きつつ本を読む。 ある意味贅沢な時間です。 読んだ本の内容は満足とはいかないまでも、たまにこういう日がないと潰れてしまいそうになります。 物があふれる時代、読み返される本がどれだけあるのか。 興が乗ったので。 以下、心底どうでもいいこ…

身ひとつに あらぬばかりを おしなべて ゆきめぐりても などか見ざら

宇多天皇

池の水は私の心のようだ。時に濁り、時には澄む移ろいゆく様が。 宗教の大家といえど、悩むでしょう、人である限り。 神仏の加護と受けれども所詮はヒト。 まつろい、まどって当たり前です。 完全なるものなど、いたところで何の価値があるのでしょう。

一枚、また一枚と葉が朽ち、落ちていきます。 終わりが近づいてきました。 枯れた落ち葉をくしゃり、と踏み潰す音に安らぎと虚しさを覚える私はひねくれているのでしょうか。 最近、体調が芳しくありません。 非常によろしくない。明るい明日が欲しければ、…

我がこころ 池水にこそ 似たりけれ 濁りすむこと さだめなくして

法然

琴を奏で、現世を風雅におくりたい。人生の果ての報いがどうであろうとも。 風流人、趣味人として人生をおくる気概をどうとるか。 愚か、と蔑む人もいれば見事、と羨む人もいるでしょう。 結局、人生の評価は果てにおいて、当人しかしりえないことでしょう。

最近は十七時ごろになると薄闇に閉ざされるように、日が早くなりました。 おかげで気温の低下も促進され、めっきり冷え込んできました。 秋は夕暮れとはよく言ったものですが、夕暮れである時間帯に夕焼けをのんびりと観賞できる人間はどれほど居るのでしょ…

琴とりて この世は花に つくさまし 終(つひ)のむくいは さもあらばあ

幽真

どうでもいいことですので、隠しておきます。 人によっては気分を害するかもしれませんのでご注意を。

まさに一握の砂。 切ない気持ちにさせる歌です。 彼は海辺で何を思ったのか。

十月も既に終わりへと近づいています。 『さよならだけが、人生だ』 そんな言葉を残した文豪がいましたが、時間というものを考えるとその通りだと思います。 ただ、それではあまりに哀し過ぎるとも思いますが。

いのちなき 砂のかなしさよ さらさらと 握れば指の あひだより落つ

石川啄木

久しぶりの俳句ですが、季節を思い切り無視した句です。 桜の部分を紅葉に変えても同じ意味ですが、何れ同じ道をたどる、ということです。 終着が同じなら、せめて自分が望む道を行きたいものです。

冷え込みが激しくなってきました。 今朝などはとても霧が深く、白い闇に覆われていました。 霧の濃さの表現、「深い」 実に日本語の妙だと思うのは私だけでしょうか。 最近少しづつでありますが食が細くなってきています。 これが、老いなのでしょうか。

散る桜 残る桜も 散る桜

良寛