2008-01-01から1年間の記事一覧

珍しく、季節にそぐった歌を。 蛍を光らせるために誰か、黄金の水を。 過ぎ去る夏へと思いをはせたのでしょうか。 季節は廻ります。しかし、この夏、今は一度きり。 時は非常。これもまた、風情なのでしょう。

休日が続くと体調が崩れる自分の身体が非常に恨めしい。 夏の間、忌避していた陽光がいとおしくなってきました。 自然に対し人が思うことはいつも独りよがりで一方通行です。 また、人に対し自然が見せる変化も。 たまには、一首。 かへりみず 前見て歩けと …

寒くなりぬ 今は螢も 光なし 黄金の水を 誰れかたまはん

良寛

久しぶりに幾許か真面目な内容のどうでもいい話を。

日本でも有数の怨霊と謂われる方の句です。 流木、波、そして焼かれる塩。どれもが辛いだろうが海の底にある私には敵うまい。 政治において正道は無く、鬼道を用いるが常の時代。 敗者は何を思うのか。

お久しぶりです。 思うことがあり長期(?)にわたり放置してきましたが再開しようと思います。 さて、もはや十月です。 もう一年のうち四分の三が終わってしまいました。 旧暦ではもう冬となっています。 三月の終わりに始まったこの雑記も、半年の月日が流れ…

流れ木と 立つ白波と 焼く塩と いづれかからき わたつみの底

菅原道真

神も仏も、人の心以外にはいないだろうよ この人の歌は悟っているな、と思わされます。 知ることは必ずしも幸福に結びつくとは限らないのでしょうか。

心に残っている風景があります。 広い、雲ひとつない青空。 黄土色の広い大地、そして山。 いつ、何処で見たのかはもう思い出せませんが、ひどく心に染み付いています。 いつか、あの風景と再び出会うことはあるのでしょうか。

神といひ 仏といふも 世の中の 人の心の ほかのものかは

源実朝

東から太陽が昇り、ふと振り返ると後ろでは月が傾いていた。 当たり前のことですが、その当たり前こそが風情と言える気がします。 裏の意味として新しい国の発達とともに古き国は滅び行く、という意味があるようです。 廻り巡ると言うことでしょうか。

何かに夢中になれるということは、とても尊いことだと思います。 好きなことをしている最中にも、ふと、日常を思い出してしまう。 小さい頃、遊んでいて気がついたら逢魔ヶ時。 それほどまでに夢中になれる何か、夢中でいられ続けられる心。 いつまでも、持…

東の 野にかげろひの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

柿本人麻呂

つまらない考えですので隠しておきます。

見かけの乱世よりも見えない乱世。 果てることのない業に終わりはあるのか。 作者が戦乱を嘆いてから一世紀たらず、人は未だ過ちを犯し続けています。 ある道化師の言葉ですが、人は何処から来て、どこへいくのか。

今宵は名月です。 運のよいことに満月を見ることができました。 朧月も捨てがたいですが、夜空に浮かぶ月もまたいいものです。

死出の山 こゆる絶間は あらじかし 亡くなる人の 数つゞきつゝ

西行法師

ちょっと、思ったことを(他人に関する中傷などは含んでいません)。 あまり快い文章ではありませんので隠しておきます。

人生は旅、死後もまた旅、終わらない旅は続いていく。 ある漫画において夢は第二の人生、という言葉がありますが、ならばすべて、旅なのでしょうか。

しばし、考えることがありまた、精神的に疲弊していたため放置してしまいました。 それにもかかわらず訪れてくださっている方がいるとは。 まったく気後れしてしまいます。 閑話休題。各所にて感想が綴られているようですが果たしてどうしたものでしょうか。

なき人の 今日は七日に なりぬらむ 遇ふ人もあふ人も みな旅びと

釈迢空

死んだら蓮台野に弔ってください、かの地は私の望みをそのまま表す土地ですから。 蓮の台は菩薩などが座る台のことで西行はこの台に座りたいと思っていたそうです。 この場合、蓮台野とは岩手のデンデラ野ではなく、京都にある墓地を指しているとされていま…

もう、九月です。 蛙の声が虫の声へと切り替わっています。 最近思うことですが、京都あたりにふらりと旅行に行きたいです。 伏見稲荷大社の鳥居をくぐってみたいという微妙な欲求がふとよぎります。 狐にでも憑かれたのでしょうか、私の住む地域には狐、い…

露と消えば 蓮台野に 送りおけ 願う心を 名にあらはさむ

西行法師

戦争に対する歌です。 賢しさは、時に残酷です。 愚かさは、時に悲哀です。 正直者は死ぬのは今も昔も変わらないのでしょうか。

一時期寒い日が続きましたが、再び暑い日々が帰ってきました。 秋の勇み足、といったことでしょうか。 世を儚む涙雨、にしては激しいですがこのごろ豪雨、雷雨が多いです。 遠雷は稲を生長させるといいますが、この豪雨では稲が転び、腐ってしまいます。 も…

老いたるは 皆かしこかり この国に 身を殺す者 すべて若人

与謝野鉄幹

久しぶりにどうでもよいことを。 今回も小難しい講釈というより個人的な見解です。

案の定、といいますか今回リクエストはありませんでした。 そういうわけでして毎度おなじみ私の自選となります。 私が行き(逝き)、主がいなくなっても庭の梅よ春を忘れるな 一説によれば鶴岡八幡宮へと向かう前に読んだとされる歌です。 知っていたとしたら…

ゲームに心奪われて暫し放置してしまいました。 まったくもって度し難い。 いろいろと思うことがありますが、とどめておきます。