久しぶりに幾許か真面目な内容のどうでもいい話を。
 
 
浦島太郎は何処に行ったのか。
日本でも有数の童話、浦島太郎。
この物語の発祥は古く、日本書紀まで遡ります。
しかし、現在伝えられている形に落ち着いたのは室町時代の「御伽草子」以降であると伝えられています。
 
今回、私が注目した点は竜宮城が海にあるということです。
一説では海中ではなく島にあるなどされますがそれでも海の向こうにあることは変わりません。
 
ここで話が一時それますが海と山について。
当時の人々にとって海と山は基本的に未踏の地であり、異界です。
それゆえ、様々な伝承が存在しています。
そのような意味で同列とも言える海と山ですが、大きな違いがひとつあります。
それは、圧倒的に海のほうが帰ってこれない率が高い、ということです。
ごく当たり前のことですがこのことは重要です。
現に山と海の妖怪を比べてもらえば理解していただけると思いますが、海の妖怪は山にいる妖怪に比べて害をなすものが多いです。さらに同列に思える河川にいるものと比べてもその異彩さが際立っています。
妖怪とは一般に不吉な現象を無理やりこじつけるために擬人(?)化したものとされますが、そう考えても海に対する濃厚な死のイメージが付きまとっていることがうかがえます。
 
ここで話を戻します。
海辺の住人である浦島が向かった異界、竜宮城。
彼はそこに行き、三年の月日を過ごすわけですが周囲の人間はどう思ったのでしょうか。
漁師の行方不明。そうくれば海難とすぐに結びつけるのは早計でしょうか。
加えて海は帰ってこれない異界です。
彼が死んだと伝えられてもおかしくはないのでしょうか。
また、漁は一人で行うものではなく複数で行うものです。
海で一人、失踪した=海に一人で漁に行った。と集落の人間に思われる可能性も否定できません。
集落における決まりは時に法以上に重いものです。特に集団生活が必須である地方ではなおさらに。
もし、一人で漁に行ったと思われたなら浦島は集落の禁を破ったこととされます。
ならば、その後浦島は所謂村八分として扱われるのではないでしょうか。当然その家族も同様に。

次に彼が元の自分の住処に戻ってきた時もはや自分を知るものがいなかった。とされていますが、これがもしも、浦島が自分の故郷の人々とコミュニケーションできなかったことから発生したことだとしたら。
加えて、前述のように家族(親族含む)は迫害され、集団からいなくなっている(逃亡?)としたら。
さらに浦島が成長期で三年という月日の間に大きな変化を遂げていたとしたら。
 
いきなり話が結論が飛躍しますが私は浦島が行った竜宮とは異国人のコミュニティだったのではないか、と思います。
前述にある仮説のひとつ、コミュニケーションの不可。
これが浦島が異国語に慣れ、旧来の自国語が不自由になっていたとすれば、ある程度の納得ができるようにも思えます。
 
では、その異国のコミュニティとは何だったのか。
少々乱暴ですが難破し、無人島に流れ着いた人々ないし末裔ではないでしょうか。
そして、何故浦島はすぐに戻らなかったのか。
これが、戻れなかったからだとしたら?
つまり、竜宮(異国人)によって囲われていたとしたら?
結論を言わせていただくと、浦島は拉致されたのではないでしょうか。
理由としては、子孫を残すため。
孤島における生活とは外部と遮断されています。
その中において女性だけが残ったとしたら?
当然迎えるのは衰退の二文字。
自分の血が絶えるのは悲しい。かといって、意思(言葉)が通じないところに自ら行くのは……
よそから来るように、もしくはつれてくればいい。そう思ったのではないでしょうか。
その白羽の矢がつきたてられたのが浦島だとしたら。
 
童謡などにおいて竜宮城での生活は夢のよう、とされますがそれはそうでしょう。
きっと毎夜のごとく子孫を残すことに勤しむ事となったのでしょうから。
当然待遇もそれなりによかったでしょう。
 
かくして用済みとなった浦島は元の土地へと返されたわけですが元の言葉を失い、姿も変わってしまいました。
そして自分を知る一族ももはやその土地にいない。
そこに漁師、浦島の姿は無く、異邦人の姿があったのではないでしょうか。
唐突ですが、玉手箱の中身、それは変わり果てた浦島を映す鏡だったのではないでしょうか。


以上が、今回思ったこととなります。
例のごとく考証が皆無に等しい妄言です。
もし、ご意見がおありでしたら、コメントなり拍手なりで指摘していただけると助かります。
 
では、ここまで読んでくださった方、お付き合いいただきありがとうございました。